このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「ダビデは心の中で言った。『私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ばされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるようりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。』」. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .サムエル第一・27:1〜7
■ 井戸を掘りましょう:
. .ここでダビデが口にしていることは、26章23、24節の彼のことばと何と異なることでしょうか。26章では「主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。、、、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」と証ししたのです。しかし今、ダビデは、その信仰を振るわれて「私はいつか、いまに、ソウルの手によって滅ばされるだろう。」と言っているのです。ダビデは信仰の動揺を経験しつつあったのです。
. .人は信仰の動揺を通過しますと、しばしば、その次の段階として信仰の低下を招きます。そして、信仰の衰退はその人の歩みの中で如実に現れてきます。すなわち、道徳性が低下してくるのです。11節に「ダビデはペリシテ人の地に住んでいる間、いつも、このようなやり方をしていた。」とありますが、真実を隠蔽することによって、ペリシテ人の王アキシの信用を得るようにしていたのです。しかし、この真実を欠いた在り方は、「アーメン」である方、真実である御方には相応しくないのです。
. . 信仰の動揺、信仰の衰退、そして、その後に来るのが、信仰の喪失です。ダビデの場合は、幸いに、そこまでゆくことはなかったようですが、28章をみますと、サウルがそこにと突き進んでいってしまったのを見ます。「サウルは、、、霊媒や口寄せを」自ら追い出しておきながら、危機に陥ったとき、彼は霊媒を求めました。正に、信仰を見失ったサウルの悲しい姿です。
. . “霊媒・口寄せと言った死後の世界との交流の問題、そのようなことがあるのだろうか”という疑問は、次回取り上げたいと思います。
☆. ダビデの生涯/0016: 「繰り返し襲いかかる試練」
☆. ダビデの生涯/0015: 「信仰者の人間関係」
☆. ダビデの生涯/0014: 「信仰生涯における試練と忍耐」
☆. ダビデの生涯/0013: 「みこころを求め続ける生涯」
☆. ダビデの生涯/0012: 「人・悲しい存在」
☆. ダビデの生涯/0011: 「二つのタイプの指導者」
☆. ダビデの生涯/0010: 「信仰者と偽りのことば」
☆. ダビデの生涯/0009:「真の愛は行動する」
☆. ダビデの生涯/0008:「みこころの成就のタイミング」
☆. ダビデの生涯/0007:「成功と人々の反応」
☆. ダビデの生涯/0006:「信仰によって結ばれた友情」
☆. ダビデの生涯/0005:「技術を支える心の状態」
☆. ダビデの生涯/0004:「人々の誤解・無理解に直面して」
☆. ダビデの生涯/0003:「変化する環境への順応」
☆. ダビデの生涯/0002:「主がこの人とともに」
☆. ダビデの生涯/0001:「人・霊的な存在」