. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 102 講
■ 今日の「井戸掘り」

 「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主が支えてくださるから。」    詩篇 3: 1〜8  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .詩篇3篇、4篇、5篇は3連詩となっています。「私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。」、「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」、「主よ。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りいたします。」と各篇の聖句を並べてみれば、それがわかりますでしょう。夜から朝へ、そして再び夜から朝へと時が移っていっています。

. .眠れない夜を過ごす人が如何に多いことでしょうか。彼らは、思い煩いで一杯で、眠ろうと思っても、安らかな眠りを楽しむことができません。悶々として眠れない夜を過ごすことになります。しかし、ダビデは、試練の中でも、悠々と眠りにつくことができたのでした。そして、それは「主が支えてくださるから、、、」と言う信仰の故だったのです。ある人は、信仰しても意味がないといいます。しかし、信仰には多くの実際的な恵みが伴うのです。

. .ダビデの、そして、歴代のキリスト者の信仰は、決してご利益的なものではありません。信仰の本質は神との交わり、そして、その恢復にあります。しかし、信仰はこのような霊的な分野における祝福をもたらすだけでなく、実際生活の中での様々な問題との関連においても、祝福を与えるものなのです。真の神を知る知識、その知識がもたらす心の平安、満ち足りた思い、それらが静かな眠りを保障します。

. .この詩篇に描かれているダビデの置かれていた状況は決して容易なものではありませんでした。表題には「その子アブシャロから逃れたときの讃歌」とあります。しかし、ダビデは、そのような中でも毎夜、平安な眠りを取ることができたのです。 高知県・越知町の大樽の滝


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