. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 103 講
■ 今日の「井戸掘り」

 「多くの者は言っています。『だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか』。」    詩篇 4: 1〜8  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .「良い目を見たい」というのは、すべての人が抱いている心の願望です。しかし、それぞれが心に描いている、見たいと思う「良い目」はみな異なります。ある人は、物質的な豊かさをもって良いことと考えてそれを追求します。ある人にとっての「良い目」とは、苦しみから逃れでることでしょう。その他、人はそれぞれで心にこれと思う良いことを描いています。

. .ダビデにとっては、目のあたりにしたいと願っていた良いこととは、主である神の「御顔の光を」照らしていただくことでした。神のご嘉納を頂くこと、そのご嘉納のしるしとして、御顔の輝きに接することができること、それがダビデの最大の喜びであり、満足、それゆえ、それを経験することが他のすべてに勝って、彼にとって「良い目」を見ることに他なりませんでした。

. .ダビデにとっては、神のご嘉納があって、主の御顔の光を仰ぎ見ることができるとき、それは、作物の豊穣さに勝っていることでした。ダビデは、主に依り頼んでいたからです。ダビデは神の賜物より、賜物を与えてくださるお方ご自身を求めたのです。

. .私たちの多くは、神ご自身より、神の賜物を求めます。ダビデのように、神を親しく知っていないので、神ご自身より、その賜物のほうが、私たちにとって価値があるように思えるからです。しかし、本来は、神ご自身のほうが、その賜物よりずっと価値高く、私たちにとって意味あることなのです。神の御顔の輝きに接することをこの上ない喜びとするまでに、創造主である神を知り、交わるお互いでありましょう。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
All rights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる