■ 今日の「井戸掘り」
「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。」 詩篇13 : 1〜6
■ 井戸を掘りましょう:
. .「いつまで」、「いつまで」との語が、この詩篇の冒頭に繰り返されています。信仰者にとって最大の試練は、主が祈りに答えてくださらないままで、厳しい・苦しい情況が「いつまで」続くのかということではないでしょうか。信仰者は、主がいつかは必ず祈りに答えて、事態の中に介入してくださることは疑いません。しかし、問題は「いつまで」耐え忍ばなければならないのか、、、です。言いかえれば、主による恵みの介入は「いつあるのか」なのです。
. .主は依り頼む者を決して忘れはなさいません。しかし、深いみこころをもって、恵みによる介入の時を差し控えることがあるのです。それは、信仰者が忍耐を学ぶためであることも事実ですが、それ以上に、悪しき者が悔改めて主に立ち返ることを願ってのことです。それで主は容易に、信仰者が待ち憧れるようには、悪者への裁きをそう速やかには執行なさらないのです。苦しむ信仰者にとっては、正に試練のときが続くわけですが、悪者にとっては、憐れみの時がなお続いていることを意味します。主は、依り頼む正しい者たちを愛されると同様の愛をもって、背き、悪を行っている人々をも愛しておられるのです。
. .その間、信仰者は「私に目を注ぎ、私に答えてください。私の神、主よ。私の目を輝かせてください」と祈るのみです。「私が死の眠りにつかないように。」そうです、信仰を堅持して、その試みの期間を無事に通り抜けることができるように。困難な時を信仰を持って耐え抜くことが出来るように、、、なのです。それでダビデは、主の「恵みに拠り頼」んだのでした。自分の力ではとても、そうすることは困難だからです。主の恵みのみがそれを可能にします。