■ 今日の「井戸掘り」
「愚か者は心の中で、『神はいない』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしいことを行っている。」 詩篇 14: 1〜7
■ 井戸を掘りましょう:
. .現代人は、その知識の量と技術革新のゆえに、自らを賢いと考えています。そして、神に依り頼むことを止めました。信仰を過去の時代の迷信として退けてしまったのです。人類は自らの知恵を誇り、自分の知恵と技術であらゆる病いを克服する日が来ることを夢見ています。しかし、現実には、天然痘・ペストなど、過去に人類の文明の中で猛威をふるって、人類を脅かした病いは克服できたものの、西ナイル熱・エイズ・鳥インフルエンザといった新しい病いの原因となるウイルスを克服できていません。そして、そのような未知の病原菌はいたるところに潜んでいて、何時、人間社会に感染するように変化し、人類を悩ますか知れないということです。
. .聖書は「愚か者は心の中で『神はいない』と言っている」と、無神論に立った人生の空しさ・愚かさを指摘しています。どのように技術革新が進んで、文明が花を咲かせているように見えても、所詮、人間は「ただの人にしか」過ぎない存在なのです。そのことを謙虚に自覚して、創造主である神に心を上げ、その恵みを待ち望む姿勢が必要なのではないでしょうか。
ダビデは「神は正しい者の一族と共におられる」ことを意識していました。「正しい者」とは、単に、そのように呼ばれる人々のの道徳性への言及ではありません。真の正しさは、神を畏れ敬うことにあるのです。そして、神を敬う心こそが道徳の土台であって、神を無視しては正しいと言える心も行為も生き方も生まれてはこないからです。「正しい者」とは、それですから第一に、神との関係を意味しています。正しい者とは「神を尋ね求め」、それ故に「悟りある」ものとなった人、のことです。しかし、ダビデの目にはそのような人は皆無と見えました。人々は「主を呼び求めようとはし」ません。
. .「見よ。彼らが、いかに恐れたかを。」神を見失ったものたちの行き着くところは、恐怖に捕らえられた日々です。すべての平安の源である神を見失う時、心は暗黒に満たされて、そこから際限のない不安の黒くもが立ち込めてくることになります。現代の特徴が不安と恐れであるのも、真に当然と言えることでしょう。