. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 120 講
■ 今日の「井戸掘り」

 「私をあなたの御前から、投げ捨てず、あなたの聖霊を、私から取り去らないで下さい。」     詩篇 51: 10〜13 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデは、主に依り頼む神の民に、主が与えられる祝福の根源に、聖霊の事実があることを知っていました。旧約の時代の恵みと新約の時代の恵みの相違は、旧約時代には、その恵みがまだ普遍的ではなかったことにあります。新約時代には、聖霊の賜物は、すべての信仰者への恵みとなりました。

. .ダビデは旧約時代に生きていながら、霊的な生涯の秘訣・力は、聖霊の内住の事実にあったことを自覚していたいのです。「あなたの聖霊を私から取り去らないでください。」聖霊がたましいの内奥から取り去られた時のたましいの暗黒の恐ろしさ、ダビデはバテ・シェバとの罪を犯すことによって、その暗黒・その恐ろしさを経験したのです。

. .救いの喜びは、日照りのように渇ききって、ダビデの心中から失われてしまいました。救いの喜びの喪失と共に、喜んで仕える霊・精神も萎えてしまったのです。さんびは途絶え、証しのことばも、ダビデの口から消えうせました。ダビデは、罪に気づいたとき、そのすべての恢復を願って祈りました。

. .ダビデが願ったのは、単に、罪の行為の赦しだけではありませんでした。「神よ。私にきよい心を造り、、、」という叫びには、罪の赦しを求める以上の思いが込められています。すなわち、人を罪に走らせる根源的な原因である罪の性質・罪への傾きそのものを、きよめてくださいとの願いです。

. .聖霊の臨在・内住は「ゆるがない霊」をもたらします。父祖の一人であるヨセフが示したあの精神です。ヨセフは、女主人からの性的な誘惑を受けた時、直ちに「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか」と言って、その誘惑を退けました。ヨセフのたましいは、ゆるぐことがなかったのです。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
All rights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる
ダビデの生涯に飛ぶ