. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 15 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あんたの書物にすべてが書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。」.                詩篇139:13〜18 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデの詩篇に見出される様々な表現の中でも、この詩篇139篇15、16節にあることばは、最も感動的なことばの一つでしょう。ダビデは、彼の存在が未だ母の胎にあって地上での誕生を見ていないときに、神は、既に彼を認めその書にすべてを書きしるしておられた、と詠っているのです。

. .地上に生を受けることをもって私たちはいのちの誕生と考えます。しかし、聖書は、いのちが母の胎に宿った時に既にいのちが始まったものとみています。ですから、近年論議を呼んでいる妊娠中絶の問題は、聖書でのいのちの始まりの理解からすれば、それは殺人罪を構成するものとなります。いのち、その個体の人生は既に胎の中で始まっているのです。どのような場合も中絶は罪かという疑問への解答は、難しい問題を孕んでいることを弁えていない訳ではありません。

. . 神は胎児のダビデ、また、私のいのちの始まりに目を留めて、その日々を書きとめてくださったのです。詩篇139篇は「あなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられた」と言って、いのちを生み出し、形作ってゆく主体が、神ご自身にあることを教えています (13節)。

. . 主なる神はご計画をもって、人にいのちを授け、地上での人生を与えようとしておられます。しかし、神が抱いておられるご計画、その御思いを知ることは「なんとむずかしいことでしょう」か。人生が神に属し、神のものであることを認めて、私たちが神を知らなかった時、当然と思っていた、自分の人生への権利を放棄して神のみ声に耳を傾けようとすれ時、神は語り始め、私たちに主ご自身の計画を明らかにしてくださるのです。「私をとこしえの道―あなたの道―へ導いてください。」(24節)。

高知県・越知町の大樽の滝


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