. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 16 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に道に導いてください。」.                詩篇139:19〜24 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデは、この世における「悪者」、「血を流す者」の存在を意識しています。そのような者は、ダビデにとって、神の敵、神を憎む者、神に反逆する者であって、それゆえ、彼自身の敵でもあるのです。

. .ダビデは、そのような者を「忌みきらい」、「憎しみの限りを尽くして憎みます」。彼らに対して「私から離れて行け」と語って、彼らの仲間に入ることを恐れます。ダビデは、正に「悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」(詩篇1:1)と言われる類の人でした。

. . ダビデは更に、悪い者と一線を画して生きるとともに、彼自身、悪者の道に歩むことがないように神に祈るのです。「神よ。私を探り、、、私を調べ、、、」と。彼自身の歩みに「傷のついた道」のあることを恐れます。「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。」で始まるこの139篇は、「神よ。私を探り、私の心を知ってください。」で閉じられようとしています。神の全知に対する知識は、神の全知に基づく実践へと繋げられてゆくのです。

. . 彼のうちにあるかもしれない「傷のついた道」と、神が彼を導いてくださるようにと祈り求めている「とこしえの道」 ― この対比から「とこしえの道」が「傷のない道・完全な道」であることを知ります。それはまた「聖きの大路」(イザヤ書35:8)でもあるのでしょう。

高知県・越知町の大樽の滝


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