. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 17 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「主の声は、水の上にあり、栄光の神は、雷鳴を響かせる。主は、大水の上にいます。主の声は、力強く、主の声は、威厳がある。主の声は、杉の木を引き裂く。真に、主はレバノンの杉の木を打ち砕く。」.                詩篇29:1〜11 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデにとっては「天」は神の宮・神殿に他なりませんでした(9節)。自然界あって聴く様々な音は、彼にとって「主の声」に他なりませんでした。。ダビデは空を渡る雷鳴に、また稲妻に「主の声」を聴いたのです。

. .自然界のすべては、ダビデの耳に「栄光、栄光」と語っていました。戦国時代の日本に宣教に来たF・ザビエルの生涯のモットーは「更に大いなる神の栄光」だったと聴いています。ザビエルも、ダビデ同様に「神の栄光」のために生きた人物でした。ダビデの耳に「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせ」でいたのでした(詩篇19:1)。

. .嵐が吹き荒れ、レバノンの森林を、その杉の木々を揺らす時、ダビデは、主である神がそこにおられて生き働いておられるのを見たのです。自然のすべては、霊の目・霊の耳に、肉体の目・耳とは異なったものを見せ、また、聞かせることでしょうか。私たちの霊の目・霊の耳は開いていて、ダビデと同じ物音を耳にし、ダビデと同じく神の栄光を目にしていますでしょうか。

. .この詩篇で、ダビデが最終的に見たものは、主が「大洪水のときに御座に着かれた」(10節)ことでした。「主は、とこしえに王として御座に着いておられる」。この王に奉ろう民に、主は「力」を、「平安」を、そして「祝福」を与えられることを、ダビデは見ました。ゴリアテに向かっていった時、ダビデは神が与えてくださる「力」を心に留めていたことでしょう。サウルをはじめ周囲の人々が口々に「あなたは、あれと戦うことはできない」と言った時も、ダビデの心は「平安」で満ちていました。そして「石を一つ取り、石投げでそれを放」った時、その石が主によって「祝福」されたのを、ダビデは見ました。たった一発の石は、ペリシテ人の若いときからの戦士ゴリアテを見事に打ち倒してのです。

. .この時、ダビデの心に聴いた声は「栄光と力とを主に帰せよ。御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ」 との声だったのではないでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝


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