■ 今日の「井戸掘り」
. . 「ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる。なぜなら、悪者の腕は折られるが、主は正しい者を支えられるからだ。」. 詩篇37:12〜28
■ 井戸を掘りましょう:
. .「悪を行う者に対して腹を立て」(1節)たくなるような情況が現実に存在します。「悪者ども」、しかも、その多くの者は「豊かさ」を誇っています。「悪者は、借りるが返さない」(21節)からです。「悪者は正しい者に敵対して事を図り、歯ぎしりして彼に向かう」(12節)からです。その豊かさは、悪者が裁きを曲げ、貧しい者から搾取して得た富です。
. .「腹を立て」、「ねたみを起こ」し、「怒り」「憤」っても当然な情況が、この曲がった世にはあるのです。しかし、正しい者たちに、そのような気分に襲われて、自らが罪を犯すことをしないように、ダビデはこの詩篇で諌めています。そして腹を立てる」代わりに「善を行え」、「誠実を養え」(3節)と勧めています。
. .「まことに、主は公義を愛し、ご自身の民を見捨てられない」(28節)からです。正しい者が僅かなものしか持っていないのは、ダビデによると、彼らが「情け深くして人に施す」(21節)からです。聖書は「正しい」とは、単に悪から遠ざかるのみか、積極的に善を行うことだと教えています。神学の整理では、悪を行うことは「罪を犯すこと」("sins of commission")ですが、善を行わないことは「怠慢の罪をおかすこと」("sins of omission")とされています。
. .「情け深くて人に施」し、自分は「僅かなもの」しか持たなくでも、「正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請う」(25節)ようになるのを見たことがない、とダビデは証ししています。なぜなら「主は全き人の日々を知っておられ」(18節)、「その手をささえておられるから」(24節)です。