■ 今日の「井戸掘り」
. . 「主を待ち望め。その道を守れ。そうすれば、主はあなたを高く上げて、地を受け継がせてくださる。あなたは悪者が断ち切られるのを見よう。」. 詩篇37:29〜40
■ 井戸を掘りましょう:
. .この詩篇37篇には繰り返し「正しい者は地を受け継」ぐと書かれています(9、11、22、29、34節)。正しい者は地上にあっては苦しむが、「天」におけるその報いは大きいと言うのではないのです。「正しい者は『地』を受け継ぐ」と言われているのです。「地を受け継ぐ」とは、地を自分たちのものとして、その産物を楽しむことができるということです。その労が報いられずに終わることはないのです。
. .それに対して悪者は「断ち切られる」(2、9、10、20、22、28、34、36、38)と書かれています。しかし、現実には悪者・悪を行う者が依然として、ダビデの時代と同様に、私たちの周囲に横行していて、悪を欲しいままにしているのを見ます。ダビデをはじめ、すべての時代の信仰者・正しい者たちは、しばしばこの矛盾に直面するのです。預言者ハバククのことばによれば「暴行と暴虐は私の前にあり、闘争があり、争いが起こっています。それゆえ、律法は眠り、さばきはいつまでも行われません。悪者が正しい人を取り囲み、さばきが曲げて行われています。」「あなたはいつまで聞いてくださらないのですか。」と言うことになります。
. .預言者ハバククが「主が、、何と語り、、、何と答えるかを見」た結果、「正しい人は、その信仰によって生きる。」との結論に到達したのです。信仰は現実逃避ではありませんが、現実を越えて神の約束に立ち続けることです。みことばの宣言とは逆の現実に困難や矛盾を心に覚えつつも、みことばに心を向け続けて、みことばの確かさを受け止めることです。私たちに困難をもたらす最大の理由は、神の時間の長さと人の時間の長さとの相違なのです。ですから信仰者はハバクク同様「いつまで」と叫ぶのです。そして、その叫びは「主を待ち望む」姿勢となり、主に祈る態度となって現れます。「主イエスよ。来てください。」