. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 24 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「神よ。あなたの前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。」.                            詩篇65:1〜5 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .新共同訳では、第一節を「沈黙してあなたに向かい、賛美をささげます。シオンにいます神よ。」と翻訳しています。人に対して不平不満、また、その他のあらゆることばを発することを止め「沈黙して」心を神に向け、賛美をささげているのです。人に対して沈黙する時、神に対する賛美が迸り出てくる、なんと不思議なことでしょうか。

. . そして、賛美は祈りへの迎え水です。賛美しているうちに、心はいつしか祈りへと向かいます。「祈りを聞かれる方よ」(2節)。ダビデは自分が「肉なる者」に過ぎないことを知っています。咎や背きの罪に纏いつかれている只の人間です。しかし「シオンにいます神」は 赦してくださる神です。そして、人を選び、近寄らせてくださる神、「私たちの救いの神」(5節)なのです。また神は、ダビデにとって「信頼の的」(同)、「力を帯びた」(6節)お方です。

. . ダビデは、それですから「神の家・聖なる神殿」の良いもので満ち足りている人々、神の「大庭に住む」人々の幸いを歌います。救いの神は「恐るべき御業」(5節、共同訳)をもって神に相応しい応答を与えてくださるよう祈っています。そのようにして神は、地のすべての果て果てまで、遠い大海の向こうの国まで、すべての人の「信頼の的」となるのです。

. . 当時の一般の宗教観は、民族的神の概念でした。バアルはカナン人の神、ヤーウェーはイスラエル人の神、ラーはエジプト人の神、、。この時代には、神の統治、支配は民族の枠を超えてた民族の及ぶとは考えられえいませんでした。神はそれぞれの民族の守り神にしか過ぎなかったからです。しかし、この詩篇に見るダビデの神観は、ダビデの生きていた時代の概念を遥かに超えています。ダビデは全世界を視野に入れて、「シオンにいます神」はすべての民族、すべての国々、すべての人々の神であることを証ししてします。

高知県・越知町の大樽の滝


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