. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 25 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「あなたはその年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡には、あぶらがしたたっています。荒野の牧場はしたたり、もろもろの丘も喜びをまとっています。」.                            詩篇65:6〜13 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .近代人、また現代人は、自然を観察して、その諸々の現象に法則性があることを発見し、自然は法則によって自律的に運動しているものと判断しました。そして合理的に説明できない神を排除して、周囲の世界に起こり来る諸現象をすべて合理的に説明しようとしています。この傾向は、日本のようなキリスト教の歴史的背景がない国において特に顕著です。英語の“Nature”が日本語では「自然」と翻訳されているのもその表れといえましょう。

. . このダビデの詩篇は、自然界の事象がことごとく神の御業であることを詠っています。神が「御力によって山々を堅く建て」ておられ、「海のとどろき、その大波のとどろき」も「静められます」(6、7節)。神が「地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされ、、、彼らの穀物を作ってくださいます」(9節)。すべては神の御業だと観察しています。

. . 自然界が示している法則性は、本来、創造主である神が活動されるに際しての「忠実さ」、「気まぐれでない」ことを物語っているに過ぎません。自然界の背後にある原動力は、自然そのものに備わっている自律的な力ではなく、神の御働きに他ならないのです。すべては神の「数々のしるし」なのです。ダビデは「あなたが通られた跡にはあぶらがしたたっています」と詠って、神がいかに豊かで、恵み深いかを語っています。

. .この詩篇の最後の部分、新改訳の第2版では「人々は喜び叫んでいます。まことに、歌を歌ています」となっていますが、第3版ではそれを改訂して「まことに、喜び叫び、歌っています。」としています。主語が「人々」から「もろもろの谷」へと切り替えられました。自然界は創造主の御業を喜び歌います。しかし、人々は盲目になって、自分の周囲にある神の御業に目が留まりません。只、ダビデを初めとする信仰者たちは、信仰の眼差しをもって自然界に神の御業を見「あなたは、朝と夕べの起こる所を、高らかに歌うようにされます」(8節)と証しするのです。

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高知県・越知町の大樽の滝


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