. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 30 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「見よ。彼こそは、神を力とせず、己の豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。しかし、この私は、神の家にある生い茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。」.                            詩篇52:1〜9 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .表題に「エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて『ダビデがアヒメレクの家に来た』と言ったときに」とあります(Tサムエル21:7、22:9)。ダビデの生涯のごく初期の詩篇のようです。

. .ダビデは、「神の恵みは、いつも、ある」のに、「なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ」(1節)と問い糾しています。悪を誇っている者は「善よりも悪を、義を語るよりも偽りを愛している」(3節)者たちです。彼らの舌は「さながら鋭い刃物のよう」(2節)で、「欺きの舌」(4節)です。「おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している」。ドエグがあらゆる讒言をもって、サウルにダビデの非を訴えている様子を描いたものでしょう。

. .第二の文節に進むと、そこには、悪を行う者に対して下る神の裁きに対する確信が詠われています。「それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、、、引き抜かれる」(5節)。正しい者たちは、その裁きの様子を見て「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる」(6、7節)と、その理由を指摘して笑います。

. .第三と第四の文節またがってですが、ダビデは最後に、自分の過去現在未来に言及して詠います。過去に関しては、神がしてくださったことに対する「感謝」の表白、現在に関しては、神への「信頼」の表明、そして、未来に関しては、神を「待ち望む」ことへの信仰告白です。ダビデは「この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ」と語り、何があっても動じない様子を証ししています。

. .私たちは、ダビデのように、何の過失もないのに責められ、嫉みのゆえにその立場を追われるとき、ダビデ同様、平然として「私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む」、「私は、、、いつくしみふかいあなたの御名を待ち望みます」と言えますでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる