■ 今日の「井戸掘り」
. . 「神よ。御名によって、私をお救いください。あなたの権威によって、私を弁護してください。」. 詩篇54:1〜7
■ 井戸を掘りましょう:
. .この詩篇の表題に「ジフの人たちが来て『ダビデはわれらの所に隠れているではないか』とサウルに言ったとき」とあります。サムエル記第一の記事によると、23章19節にそのような情況がありました。ダビデを亡き者にしようと必死になっていたサウロは、ダビデの所在に関する情報を受けたとき、直ちに行動を起こし、部下を率いてそこに赴きました。ダビデは大きな危機に直面していたのです。「見知らぬ者たち」(3節)とは、ダビデ追跡のため応援にサウルの手勢に加わったジフの人たちのことでしょうか。彼らは「横暴な者たち」、神の存在を意識していない者たちです。
. .人生の様々な場面で危機に直面する時、私たちは何をしますでしょうか。どのようにしてそのピンチに対応しますでしょうか。ダビデは、何をするにもまして先ず「神よ。御名によって、私をお救いください」と祈りましたが、私たちは祈ることをしないで、思いつくありとあらゆる、解決に向けての策を講じ始めるのではないでしょうか。祈ることを忘れて、、、です。
. .ダビデにとって、祈りとはそんなに効果を期待できるものなのでしょうか。ダビデは、第二の文節で「まことに、神は私を助ける方」(4節)、「神は、すべての苦難から私を救い出し」(7節)と詠っています。 「神は私を助ける方」は、普遍的な真理として、「神は、、、私を救い出し」は、この時の特定な経験からの証しとして、述べられたものです。サウルは山の一方を進み、ダビデとその部下は山の他の側を進んでいました。あはや山の端で両軍が鉢合わせ、、、と言う状況になっていたときです。サウルは「急いで来てください。ペリシテ人がこの国に突入して来ました。」という使者からのメッセージを受けてダビデを追うのを止めて急遽帰って行きました。「横暴な者たちが」ダビデのいのちを求めたのに、神は、ダビデの「いのちをささえる方」でした。
. .ダビデは「私の目が私の敵をながめるようになった」(7節)といって、感謝のいけにえを主に捧げました。そして「あなたの真実をもって、彼らを滅ぼしてください」となお祈っているのです(5節)。
. .祈りの力、効果に対する信頼を取り戻して、もっと祈る私たちでありましょう。「神よ。私の祈りを聞いてください。私の口のことばに、耳を傾けてください。」