. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 33 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私をあわれんでください。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の蔭に身を避けます。」.                            詩篇57:1〜11 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .サウルの殺意を避けて、ダビデが身を避けたのはユダの荒野にある洞窟ではありませんでした。ダビデが身を避けたのは、ダビデが「あなた」と呼びかけている彼の神、また「御翼の蔭」でした。

. . 私たちは、目に見える洞窟と目に見えない神とのどちらを確かな隠れ家と感じるでしょうか。多くの人は、山腹に開かれた洞窟、自分の姿を消してくれる洞窟の薄暗がりのほうが自分の安全を保障してくれるように思います。ダビデは確かに洞窟に身を潜めましたが、それに拠り頼んでいたわけではないのです。ダビデの安全は、主の「御翼の蔭」、また、「主御自身」にありました。五感によって確かめられる世界にあまりにも依存して生きてきた現代人は、目に見えない世界をなにか不確かなもののように感じています。目に見える保証がないと安心しません。現代人にとって安心の根拠は、預金の残高であり、自分の壮健さであり、今従事している事後との安定さ、、、など感覚で捉えられる世界です。そして、それらが欠けると不安に思います。

. .ダビデは「いと高き方」、すべての問題を超越してその上に居られ方、に呼ばわり、神は「私のために、すべてを成し遂げてくださる」お方であることを確信しています。神は、天から助けを送り、また、恵みとまこととを送られる方です(3節)。

. . ダビデは、危険な「獅子の中に」おり、「むさぼり食う者の中に」身を横たえています。ダビデの前には「足をねらって網が仕掛けられ」、彼の前には「穴が掘られ」ています。危険はいたるところに存在しています。

. .しかし、ダビデは主に身を避けて「私の心はゆるぎません」と歌うのです(7節)。「神よ。私をあわれでください」という悲痛な叫びで始まったこの詩篇も、「あなたの恵みは大きく、天まで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです」と歌って締め括られています。ダビデの信仰は、現実の厳しい状況の中にあっても、主による問題解決の朝をしっかりと見つめて、その「暁を呼び覚ましたい」、早く見てみたいと言います。 高知県・越知町の大樽の滝


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