■ 今日の「井戸掘り」
. . 「彼らを流れて行く水のように消え去らせてください。、、、正しい者は、復讐を見て、その足を悪者の血で洗おう。」. 詩篇58:1〜11
■ 井戸を掘りましょう:
. .「復讐!?」―しばしば、クリスチャンらしくないスピリットだと言われます。新約の光が未だ射し出でていない旧約の時代のことだから、と言ってもなお、神の民に相応しくないのでは、という疑問が投げ掛けられます。復讐の詩と分類されている幾つかの詩篇をどのように理解したらよいのでしょうか。
. . 先ず、このような復讐のことばは「神よ。彼らの歯を、その口の中で折ってください。主よ。若獅子のきばを、打ち砕いてください」とあるように、神への祈りのうちに用いられていることを心に留めましょう。ダビデを初めとする神の民は、復讐を自らの手から手放して、主である神に委ねたのです。復讐するのは神です。もし彼らが復讐を自分の手で行ったなら、または、行おうとしたとしたなら、その行為、また、その意図は神の民に相応しくないことでしょう。しかし、彼らは自ら復讐することを思い止まり、手放して、それを主に全く委ねたのです。そこから、復讐のことばが祈りのことばとして迸り出てきています。
. .さて、この詩篇に悪者はどのように描写されていますでしょうか。彼らは「力ある者」(1節)です。彼らは「心に不正を働き」、その手には「暴虐」(2節)があります。彼らは「偽りを言う者」で「生まれたときからさまよっている」(3節)者たちです。「蛇の毒のような毒を持ち」、主の言うことを聞かない者たちです(4節)。
. .「復讐を見て」と「復讐」ということばこそ用いられていますが、その意味するところは「正しい裁き」(11節)なのです。神が、彼らの悪に報いて裁きを執行してくださるように求めているのです。その裁きの結果が様々なことばで描かれています。「きばを打ち砕かれた獅子」(6節)、「流れ去ってなくなってしまった水」、「折れてしまった矢」(7節)、「溶けて消えるかたつむり」、「日の目を見ていない死産の子」(8節)。これらの描写には、悪者の惨めな結末が歌われています。こうして人々は「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる」ことを認識するようになるのです(11節)。