. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 45 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主はあなたの罪を赦し、、、。」                            詩篇103:1〜5 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .ダビデは主を賛美する理由を列記する中で「主はあなたの罪を赦し、、」と罪の赦しを先ず第一に数え上げています。罪の赦しこそ根源的な恵み、すなわち、他の恵みのすべてが流れ出てくる泉だからです。罪の赦しなしには、ダビデでなくても人は、聖なる神に近づくことができません。神の恵みの数々を享受することができません。赦しがあるからこそ、神は人に恐れ敬われています。

. .それにしても、人生とはなんと問題に満ちているものなのでしょうか。罪・道徳問題、健康問題、人生の危機、欠乏、疲労、、、などなど、人生には多くの課題が横たわっています。創造主である神を信じる信仰と言えども、それらの人生の様々な課題から、信仰者を除外するマジックではないのです。クリスチャンの家庭に、また、教会に様々な問題課題が発生する時、仰天してはなりません。信仰とは、こうした問題が起こらないようにするマジックではなく、これらすべての中にあっても、圧倒的な勝利者となる道なのです。

. .さて、人生の課題が様々多くても、神の恵みが、れらすべてに対しての解決を備えているということこそ驚嘆に値します。罪には赦しがあり、病には癒しが、いのちの危険には救出が、欠乏には満たし・供給が、そして、疲労には刷新が、神によって備えられているのです。これらのすべてはダビデが言及している「主が良くしてくださったこと」どもです。

. .それゆえダビデは「主をほめたたえよ」と、自らのうちなるたましいに語り掛けています。さんびを捧げることこそ主に最も相応しいことだからです。

高知県・越知町の大樽の滝


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