■ 今日の「井戸掘り」
. . 「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」 詩篇17:1〜15
■ 井戸を掘りましょう:
. .詩篇86篇と並んで「ダビデの祈り」と題されている数少ない詩篇です。冒頭と締め括りに夫々「正しい訴え」ということばが見出されますが、これが力ある祈りの前提といえましょう。神はダビデの「心を調べ」、夜には「問いただされました」が、「何も見出されませんでした」(3節)。ここにこそダビデの祈りの力強さの理由があります。
. .しかし、ダビデは、自分の義を主張しているわけではありません。7節に「あなたの奇しい恵みをお示しください」と祈っています。ダビデは「祈りの土台」が、自分の義にあるのではなく、主である神の「奇しい恵み」にあることを重々自覚していたのです。
. .彼の「祈りの内容」は何だったでしょうか。「主よ。聞いてください」(1節)、「悪者から、、、助け出してください」(13節)というのが彼の願いですが、それ以上にダビデの心の願いは「御顔を仰ぎ見」、主の「御姿に満ち足りること」にありました(15節)。
. .アサフは、悪者どもがこの世で栄え、人生を楽しんでいるのを見た時、その信仰が震われたことを、詩篇73篇に歌っていますが、ダビデは、「相続分がこの世のいのちであるこの世の人々」の腹は、神の「宝で満たされ」、彼らが「子どもらに満ち足り、その豊かさを、その幼子らに残し」ているのを見ても、すなわち、アサフと同じような事態に直面しても、その信仰を揺るがされることはありませんでした。むしろ、冒頭に引用した句に見るように、主の「御姿に満ち足り」(15節)ているのです。
. .「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください」(8節)。何と素晴らしい祈りでしょうか。この祈りが答えられることを知っている信仰者にとっては、その信仰が揺るがされ、震われることはないのです。