■ 今日の「井戸掘り」
. . 「ヤコブの神の名が、あなたを高くあげますように。、、、主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのはかりごとを遂げさせてくださいますように。」 詩篇20:1〜9
■ 井戸を掘りましょう:
. .「ヤコブの神」(1節) ― 詩篇に度々見出される表現です。「ヤコブの神」とは「先祖の神」という意味もありますでしょう。しかし、それ以上に「ヤコブの神」とは「苦難の日に、、、答え」てくださる神なのです。孤独、後悔、恐れ、不安の只中にヤコブに出会ってくださった神です。また、杖一つしか持たないでヨルダン川を渡ったヤコブを、多くの牛羊の群れを持つようにされた神、また、ヤボクの渡しでただ独り主と相撲したヤコブを扱い、イスラエルへと変貌させた神、更に、あのベテルでの約束のとおりに、ヤコブをハランから故郷のカナンの地に安全に連れ戻された神です。ダビデが祈っているのはそのような神に対してでした。
. .この詩篇は、4つの文節から成り立ていますが、第1、第2の文節が、ダビデのための民の祈り、第3の文節が、ダビデの応答、そして、また最後の文節が、民の祈りと言うように構成されています。ダビデの長い放浪の年月が終わって、ユダの王として油そそがれた頃の詩篇と考えてもよい表現が見受けられます。「主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのはかりごとを遂げさせてくださいますように。」(4、5節)。
. .ダビデは、このような民の祈りに対して、信仰の確信を披瀝しています。「今こそ,私は知る。主は、油そそがれた者を、お救いになる。」サウルの追求を逃れていた時には、いつかサウルの手に陥るかもしれないと言う恐れが、心を横切ることもあったことでしょう。しかし「今」、ユダの族による油そそぎの出来事は、ダビデの心に神の救いの確かさに対する確信をもたらしました。
. .なおサウルの子を押し立てて、ダビデの王位に対して反抗しているイスラエルの10族の軍事力は、ダビデの側、ユダの2族の兵力と比べると圧倒的にイスラエル側が有利でした。しかし、ダビデの民は「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう」(7節)と歌います。
. .そして、最後にもう一度、彼らはダビデのために「主よ。王をお救いください。王に勝利をお与えください」(9節)と祈っているのです。