. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 56 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。わが神。昼、私は呼ばわります。しかいs、あなたはお答えになりません。」                                       詩篇22:1〜10 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .詩篇22篇は「十字架の詩篇」と呼ばれています。後にダビデの子孫としてお生まれになったお方が、十字架の上でこの詩篇の言葉をご自分の祈りとして語っておられるからです。

. .ダビデにとって最大の危機は、正にここに言及されている情況に陥ったことにありました。祈っても、主がお答えにならない(2節)、そのような情況です。程度の差こそあれ、私たちも信仰生涯の道筋で同様のことを経験したことはないでしょうか。祈りのことばが、雲を突き抜けて天に届かないで、跳ね返ってくるような時の経験です。そのような時、大きな失望を味わいます。「どうして、、、」と叫び、自分が「虫けらで、人間ではな」(6節)くなってしまったかのように感じています。

. .ダビデの信仰の優れている点は、そのような情況にありながら、彼の先祖たちの神に対する信頼を想い起こして、信頼の念を見失わないように自らの信仰を励ましていることです。神に信頼して生きることはダビデにとって生まれた時からだったと告白しています。「あなたは、、、母の乳房により頼ませた方」(9節)。幼い子どもにとって、親への信頼は、やがて人生で学ぶべき神への信頼の第一歩です。親に従うことは、やがて身に着けなくてはいけない神への服従の第一歩です。

. .ダビデにとって信仰がどのように彼のものとなったかを、この詩篇は明らかにしています。「生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です」(10節)。それは家庭での感化、殊に、母親の感化によるものでした。

. .ダビデの信仰の姿勢は、広く知られていたようです。ダビデが苦しんでいた時、人々は「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから」(8節)とはやし立てました。

. .すべての解決は「あなたは聖であられ、、、」(3節)ということばにあります。神が聖であるということは、神は神であって、そのなされることに間違いはない。そのことばは信頼できる、と言う意味です。情況はどうあっても、神が神であるゆえに、ダビデは信頼の姿勢を貫き続けたのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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