. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 57 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「犬どもが私を取り囲み、私の手足を引き裂きました。、、、彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。」                                       詩篇22:11〜22 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .この詩篇を詠んだダビデは紀元前、約千年頃に生きた人物です。この詩篇は「メシヤ詩」のひとつとされています。千年も前に語られたダビデのことばが、冒頭に引用したように、ダビデの子孫であるお方の十字架上の経験を描いているのです。聖書を神のことばとして受け入れ、信じる理由の一つがここにあります。

. .聖書を信じる理由の一つに預言があるだけではなく、聖書の構成を見ますと正に不思議な思いに打たれます。旧約のモーセに始まって、新約のヨハネ黙示録で閉じられるまで、聖書がカバーしている年代はほぼ1600年にわたります。聖書は一冊の書物のように思われていますが、聖書に収録されている歴史的な記録、詩篇、ドラマ、書簡などは、それぞれ異なった時代に生きた40人以上の人々によって記されたものです。しかし、そこに恰もひとりの人が書き記したように、神による贖いと言う一貫したテーマが貫かれています。一人の人の長年にわたる著作でも、若い頃の主張と晩年の見解では変化が見られることがしばしばです。しかし、聖書はその中心的なメッセージにおいてぶれていません。

. .更に、聖書の深みも、聖書を他の書物から引き離して、特別な本として位置づけるに十分な証拠を提供しています。読んでも読んでも尽きない真理の泉が聖書に見出されます。人生の経験が深まるとともに、聖書の真理の味わいも深くなってゆきます。

. .さて、詩篇22篇に戻って、今回の第二の文節には「どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです」と詠われていて、十字架上でのメシヤのやるせない状態が描かれています。ダビデの経験は、また、彼の子孫である神に油そそがれたお方の経験でもありました。そのような苦しい経験の中で、この文節は祈りの確信、賛美への決意で締め括られています。「あなたは私に答えてくださいます。私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう」(22節)。

高知県・越知町の大樽の滝


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