. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 58 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを求めたとき、聞いてくださった。」                                       詩篇22:23〜31 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .キリストは、聖書をよく読み、特に詩篇、イザヤ書、申命記を愛されたようです。十字架上と言う極限状態にありながら、詩篇のみことばを心に留め、そのことばに託してご自分の心のうちを語っておられます。福音書が、上から見た十字架、下から見た十字架、横から見た十字架のキリストを記録しているとすれば、この詩篇はうちから見た十字架のキリストを私たちに見せてくれています。

. .さて作者のダビデに戻って、彼もキリストが十字架の上で経験された苦しみにも匹敵するような苦しみを味わいました。それは大変な苦しみの中にあって祈っても、神がその叫びに答えてくださらないという苦しみです。神を仰ぎ待ち望んで、その御顔の輝きに接する時、あらゆる苦悩はやわらぎ、苦痛は軽減されます。しかし、神が祈りに答えてくださらない時の苦しみは、あらゆる苦しみに勝って深いものです。

. .この詩篇は、丁度蝶つがいで扉が二つに折れるように、真ん中で雰囲気ががらりと変っています。前半の重たい雰囲気は、後半になると賛美、礼拝、証しの雰囲気に変るのです。その蝶つがいにあたる節が「あなたは私に答えてくださいます」(21節b)です。神が祈りに答えてくださることが確信できた時、悩んでいたたましいはその悩みに打ち勝って、呻きは賛美に変貌します。そして人々を賛美へと招くまでになるのです(23節)。

. .賛美はやがて証しになり「彼らは来て、主のなされた儀を、生まれてくる民に告げ知らせよう」(31節)と言うまでになります。

. .今、私たちは、どのような信仰の行程にありますでしょうか。依然として祈りが聞かれないで、「しかし、あなたはお答えになりません」と言うダビデのことばに同感を覚えていますでしょうか。それともその段階が終わって、「あなたは私に答えてくださいます」と言えるところまで苦しみぬいたでしょうか。更に「まことに、主は悩む者の悩みを、、、聞いてくださった」と言えるところにまでたどり着いたでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝


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