. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 60 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。」                                       詩篇25:1〜10 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .私たち、多くの者は、人生とは、自分の生きる道を見出し、その道をまっしぐらに進んでゆくことと理解して、その道を追求します。しかし、ダビデにとっては「あなたの道」、「あなたの小道」、すなわち、主が彼のために備えてくださった道を見出し、そこに歩むことが彼の人生でした。ダビデにとって、「あなたの道」、「あなたの小道」を外れては彼の幸いはありませんでした。ダビデにとって、人生とは自己達成・自己実現にあるのではなく、主のみこころに歩むことにありました。

. .自分の道を追求してゆきますと、私たちは詩篇107篇に描かれている状態に陥ります。「彼らは荒野や荒れ地をさまよい、住むべき町へ行く道を見つけなかった」(4節)、また「愚か者は、自分のそむきの道のため、また、その咎のために悩んだ」(17節)。自分の道を追求することは、主にそむく道に入り込み、荒野を彷徨う結果を招きます。

. .そのようにならないために、ダビデのように「あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください」(5節)と祈ることが大切です。主は「貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられ」(9節)ます。主はご自身を恐れる者に「選ぶべき道を教えられ」(12節)ます。主は、主を待ち望む者にその道を教え、また、導いてくださるお方です。

. .そして、その主が導いてくださる道は「みな恵みとまこと」(10節)だとダビデは詠います。

. .主の道を知るためには、主を待ち望むことが大切です。ですからダビデは、「私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです」(5節)と詠い、また「まことに、あなたを待ち望む者はだれも恥を見ません」(3節)と詠います。

高知県・越知町の大樽の滝


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