■ 今日の「井戸掘り」
. . 「主よ。御名のために、私の咎を赦してください。大きな咎を。、、、私の悩みと労苦を見て、私のすべての罪を赦してください。」 詩篇25:11〜22
■ 井戸を掘りましょう:
. .ダビデは人間の課題が「罪」、「咎」の課題にあることを知っていました。罪、咎の問題の解決なしには、他のあらゆる問題の解決は浅薄なものとなり、上滑りのもので終わってしまいます。人がこの人生で直面する最大の課題は、お互いの人間関係がもたらす様々な課題ではなく、創造主である神との関係にあります。人は神の前に罪ある存在である限り、その人生を真に楽しむことはできません。
. .あらゆる祝福された、また、それゆえ充実した人生の根幹に、神による罪の赦しがあります。ダビデは、それゆえ咎の赦しを求めて祈ります。「咎」とは「罪の行為」の結果、そこに生じた罪への責任意識です。罪の行為は、一旦その罪が犯されてしまえば、それは如何にしても消すことはできません。しかし、その罪によって生じた罪の責任意識、咎めは、赦されることによって帳消しになります。
. .私たち人間は、過去の罪行を決してといっていいほど忘れることができません。過去の罪行の記憶が、人の心に残っているために、私たち人は、赦しの宣告が与えられているにも拘わらず、しばしば過去の罪を想い起こして悩み、苦しみます。心理学でしばしば言及されるトラウマなどはその典型的なものでしょう。
. .しかし、幸いなことに、神は罪咎を赦すのみか、罪そのものを忘れ去ってくださいます。すべての罪を海の深みに葬り去って、再びそれを思い出すことをされません。私たちはその事実に希望を繋いで、罪の記憶と戦うのです。サタンは、私たちに罪を想い起こさせ、私たちの良心を責めてくるでしょう。しかし、そのすべては私たちの主キリストの十字架によって贖われたのですから、私たちはもはや悩む必要はありません。“サタンよ。去れ”と言って、その誘惑を退けることのみが必要です。