. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 63 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」                                       詩篇27:1〜14 

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .この詩篇は5つの文節から成り立っています。それぞれの文節を、信仰の告白、信仰の思索、信仰の祈り、信仰の歩み、そして、信仰の待望と整理してみることができるでしょう。

. .ダビデは、敵の攻撃の最中にあって「私の心は恐れない」と信仰の告白をしています。なぜなら、彼にとって、神は「光」、「救い」、「いのちのとりで」だからです。ダビデは、どんな敵をも「こわがりません」、どのような情況にも「恐れません」(1-3節)。

. .第二の文節に、この詩篇を特徴づけていることばを見い出します。「私は一つのことを主に願った。」私たちが、もし一つのことを主に願うとしたら、何を主に祈るのでしょうか。ダビデは「いのちの日の限り、主の家に住むことを」求めました。主の家は、主の臨在があるところでした。ダビデが願ったことは、主の臨在のうちに日々を生きることでした。また、主の家にあって「主の麗しさを仰ぎ見」、主を思い巡らすためだったのです。

. .信仰の祈りでは、ダビデは「私を見放さないでください。見捨てないでください」(27節)と祈っています。主が受け入れていてくださる、ということこそがダビデの支えでした。主が「怒って押しのけ」られたなら、ダビデにはもう立つ瀬がありません。

. .次に、ダビデは導きを仰いでいます。彼は、主の道を教えてくださいと祈っています。険しい道にではなく「平らかな小道」へ導いてくださるよう求めています。私たちの折々、主の導きを求めますが、主の道が示された時、その道にまっしぐらに進んで行きますでしょうか。主が道を示されたにも拘わらず、その道が気に入らないからと言って、また、難しいからと言って、そこに歩むことを躊躇するようなことをしていませんでしょうか。

. .最後の文節で、ダビデが祈って言ることは、「生けるものの地で主のいつくしみを見る」ことです。それは、彼の信仰次第であることをダビデは意識していました。「信じられなかったなら、、、、」(13節)。それですから「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ」と自らを励ましてこの詩篇を締め括っています。

高知県・越知町の大樽の滝


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