■ 今日の「井戸掘り」
. . 「どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。」 詩篇28:1〜9
■ 井戸を掘りましょう:
. .最初の部分に「どうか私に耳を閉ざさないでください」(1節)と言う嘆願があります。神が耳を閉ざされるのは「悪者ども」に対してであり「不法を行う者ども」(3節)に向かってでした。神が自分に対してもそうあることは、自分も「穴に下る者と同じように」扱われたことになるという認識があります。それで「私の願いの声を聞いてください」(2節)、私を彼らと「いっしょに、かたずけないでください」(3節)と言う祈りが出てきます。
. .ダビデの心にある「悪者ども」とは、口では平和を語りながら「その心に悪がある」人々のことで、結果的に「彼らのすること、彼らの行い」も悪である人々のことです。そのようになるのは彼らが「主のなさることも、御手のわざをも悟らない」(5節)からです。
. .ダビデは「主は、彼らを打ちこわし、建て直さない」(54節)ことを確信しています。なぜなら神は「その手のわざにしたがって彼らに報い、その仕打ちに報復」(4節)される方だからです。一方、ダビデは自分に対しては、神は「力、盾」(7節)であることを意識しています。「拠り頼み」甲斐のある御方なのです(7節)。
. .それで最後に、ダビデは、「御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください」と祈っています。そして、神の真の祝福は、神が物質的に何かを恵んでくださることよりも、神ご自身が「羊飼いとなって、いつまでも」その民を「携えていってくださる」(9節)ことにあることを、ダビデは認識し、それを祈っています。