. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 70 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「主よ。、、、私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救いだ』と。」 詩篇35:1〜16
■ 井戸を掘りましょう:
. .ダビデの周辺には「争う者」、「戦う者」がいました。そのような情況の中で、ダビデが叫んだ叫びは「私のたましいに言ってください。『わたしがあなたの救いだ』と。」でした。神が救いとなってくださることを保障される時、人は何を恐れるのでしょうか。すべての恐れは消え去ってしまいます。
. .主に依り頼む者は、主の救いを経験して「こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむこどてしょう。」と言うことができるようになります。自分に都合のよい環境にあって、それを喜ぶ人は環境の変化とともに、その喜びを失います。しかし、主を喜ぶ信仰者は、環境がどのような移り変わって行こうとも、変わらず主にあって喜ぶことができます。
. .そして「主よ。だれか、あなたのような方があるでしょうか。悩む者を、、、救い出す方。」と告白するようになります。しかも、「そうです。悩む者、貧しい者を、奪い取る者から。」「彼より強い者から、、、」と言うのです。
. .ダビデを攻め立てた人々は、「暴虐な証人ども」、「私を知らない攻撃者ども」、「あざけり、ののしる者ども」であると描写されています。彼らは獲物を狙ったら決して逃すことをしない「若い獅子」です。
. .しかし、ダビデは、そのような人々からも、主の干渉によって救われることを確信して祈ります。「私の祈りは私の胸を行き来していた。」祈りの答えが遅いと感じることもあったでしょう。しかし、信仰は揺るがずに主の恵みに拠り頼み続けるのです。