. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 80 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の助けはむなしいものです。」 詩篇60: 5〜12
■ 井戸を掘りましょう:
. .人は、本来、神の似像に創造されていて、素晴らしい存在なのですが、アダムの背きの罪によって、神の似像である聖と義を失って、自己中心的な罪ある存在になってしまっています。
. .ダビデの「人の助けは空しいものです」という言及の背後には、そのような聖書による人間観があります。ダビデは神学の教科書を通して、その事実を学んだのではなく、人生の様々な場面を自ら経験することによって知りました。表題に記されているダビデの将軍であったヨアブにしても、彼は長いことダビデの腹心でした。しかし、やがてダビデにとって厄介な扱いにくい、彼の意志に反して行動する高慢な人物になってしまいました。胸襟を開いて真実に依り頼むことが困難な時期がやってくるです。
. .勿論、ダビデの周囲には、変わらず忠誠を誓って、ダビデと共に行動した多くの有志がいました。しかし、ダビデは、彼らとてもアダムの子である限り、その内心に罪の現実を抱えているのに気づいていたようです。
. .しかし、ダビデをして「人の助けは空しいからです」と言わしめた最大の理由は、ダビデが彼の主である神の素晴らしさを味わい知ったからに他なりませんでした。神の栄光に触れた者はに、人の素晴らしさが如何ばかりであっても、それは黄金の前に置かれた鉛のように見えるのです。神に依り頼むことの幸い、確かさ、、、と比較しての「人に依り頼むことは空しい、、」という結論なのです。