. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 81 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。」 詩篇61: 1〜8
■ 井戸を掘りましょう:
. .いつ私たちの心は「衰え果て」たことを感じるのでしょうか。この詩篇の一つ前の60篇には「神よ。あなた御自身が、私たちを拒まれたのではありませんか。神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。」(10節)とあります。
. .ダビデの内的衰えの最大の原因は、神の恩顧が遠く退いてしまっているのではないか、、、という意識にありました。外的な情況がどのように厳しいものであっても、神が共にあって、その恵みを注いでいてくださるという意識が心にある限りは、こころの衰えに勝つことができたのです。しかし、神の臨在の意識が失われ、神の恩顧を最早期待できないと感じた途端に、内的衰えが始まります。人は、神から離れる時、内的な活力を見失い、衰えてゆくのです。
. .ダビデは、そのような情況の中で、自分が「地の果て」にいるかのように感じていました。遠いところ、それは、地理的・距離的に「遠い」ところなのではなく、神の臨在から遠い地だったのです。しかし、そのような中でも「呼ばわる」ことを知っている人は幸いです。そこにこそ直面している情況を打破する恵みがあるからです。
. .地の果ての低いところから引き上げられて「及びがたいほど高い岩の上に」上げられることを求めているのです。あらゆる問題を超越した恵みの場所、それが「高い岩の上」だったのです。それは「私が及びがたいほど」の高いところでした。神のみが、そこへと引き上げてくださることができるところです。