. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 83 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。」         詩篇 62: 1〜12A  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .神が一度語られる時、二度、それを聞く者は幸いです。「二度それを聞く」とは、反復して神からのメッセージを心に留める人のことです。神からのメッセージとは、どのようなものでしょうか。

. .「力は、神のものである」―すべての権威、権限、権力は、神のものなのです。そのことを正しく知ることが大切です。陶器師が、自作の陶器に対して、それを自由にする権限を持っているように、神は創造主として、すべての被造物に対して、権利を主張されています。人も被造物として、人が持つ権威は独立したものではなく、神の権威に依存したものです。人は、神が与えた範囲に従って他の被造物の上に権威を行使できるのです。

. .しかし、啓蒙主義時代以降の人は、神から独立しても、なにか権威があるかのように誤解して、神を無視して生きてきました。そこに人類が抱えている根源的な問題の原因があります。「力:権威、権力、権限、そのすべて:は創造主である神のものです。」それを認めることが、人類にとって必要なことであり、また、当然なことなのです。

. .神の権威を正しく認識する時、人は与えられた権威を神にあって正しく行使する道を学びます。神から委託された権威ですから、神のみこころに従って用いなければなりません。そうすることによって、人は権威主義、すなわち、権威の乱用から守られ続けるのです。しかし、人が神の下にあることを忘れた途端に、権威の乱用が始まります。国際社会における国家権力、教会における宗教的な権力、家庭における親の権力も、間違った方向に向き始めるのです。それは危険なことではないでしょうか。このことを意識することが大切なのではないでしょうか。

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高知県・越知町の大樽の滝


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