. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 85 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかり立てられました。」   詩篇 68: 1〜 18  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .ジャマイカには、春夏秋冬といった四季はありません。英語の「Season」と言う語は、マンゴーのシーズン、スターアップルのシーズンといった具合に、果物の実る時期を表すことばとして用いられています。季節としては、乾季と雨季とがあるだけです。乾季も終わり近くなると、地にはひび割れが入り、落葉した樹木の歯はカサカサに乾いて、触ると、音を立てて粉々に砕けます。そこに、雨季になって雨が降り注ぐと、大地が一斉に緑の大地に変貌します。雨がもたらした変化です。

. .神が豊かな雨を降り注いでくださるのは、私たちの心の大地であり、霊の世界の大地です。疲れ果て、渇ききった心、たましいに、神は霊の雨を豊かに注いで、その疲れを、また、渇きを癒してくださるのです。主イエスが御在世の頃、ユダヤ人の祭りの一つである仮いほの祭りの折にエルサレムの神殿に行かれたことがありました。主イエスは、神殿に集まった群衆に対して「だれでも、渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」と、招きの声を掛けられたことがありました。

. .主イエスが意味されたことは、「御霊のことで、、、ある」とヨハネは解説しています。主イエスを「信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」のです。主イエスは「イエスを信じる者が後になって受ける聖霊のことを言われたの」です。

. .聖霊は、霊界の雨、渇ききった心とそれによって生じた事態を潤し、疲れきったたましいを癒やす天からの注ぎ、です。聖霊の臨在・干渉は、私たちの心を、また、私たちが直面する事態を大きく変えます。潤し、柔らかにし、恵みの草花が生えてくるのを助けます。「神よ。あなたは疲れきったあなたのゆずりの地に」「豊かな雨を注」いでください。あなた以外に、内的な疲れ、渇きを、止め癒すお方は、他にありません。

高知県・越知町の大樽の滝


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