. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 88 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。」      詩篇 110: 1〜 7  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .この主語は「あなたの民」です。神の民とされた人々は、それまでの反逆の生涯と打って変わって、神に仕えることを喜ぶ生涯を生きるように変えられたのです。そこに新生の恵みがあります。

. .創造主である神に背いて生きてゆくことは、人として生まれた者が、すべて、生まれながらに持っている傾向性です。人は、それゆえ、何一つ悪いことをする前から、聖書的な観点でからは「罪人」なのです。しかし、赦され、新しい霊のいのちが、信じる者の心に注がれるとき、その人は、神の国の市民権を得て、神に仕えることを喜ぶようになります。

. .彼らは、神に仕えるに当たって「聖き」が要求されることを自覚しています。それで「聖なる飾り物を着けて」主に仕えるのです。飾り物、また、衣は、私たちの行動のシンボルです。飾り物、また、衣が聖である、とは、その人たちの生き様が聖い、と言うことなのです。

. .私たちの教会で公用聖書として認められている新改訳では、「」と「主」と言う用語が使い分けられています。第一節冒頭の「」は、聖なる四文字として知られているヘブル語の「ヤーウェー」で、神である主を指しています。そのヤーウエーなる神が、私の「主」に語られたのです。

. .この詩篇を初めとして、幾つかの詩篇が「メシア」詩篇として分類されています。「主」は、ダビデの末裔として生まれたお方、主イエスを預言するものです。ダビデのうちに、キリストの姿が描写されています。

. .冒頭に言及した「あなたの民」とは、旧約時代のイスラエルにあって忠実な者たち、新約時代では、キリストにある者たち、すなわち、キリスト者を指しているのです。私たちは、主に仕えることを喜んでいるでしょうか。

高知県・越知町の大樽の滝


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