. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 90 講
■ 今日の「井戸掘り」
. . 「もしも主がわたしたちのみかたでなかったなら。」 詩篇 124: 1〜 8
■ 井戸を掘りましょう:
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「もしも主が私たちの味方でなかったなら、、、」。最初の二つの分節には、もしも主が彼あの味方でなかったなら、どのような事態が起こったが記されています。敵が大水のように迫ってきて彼らを飲み込んだことでしょう。
. .しかし、主は彼らの味方であり、彼らは「仕掛けられたわなから鳥のように助け出された」のです。それで「ほむべきかな。主」と詠っています。この詩篇は賛美の詩篇です。
. .締めくくりには、詩篇121篇に呼応するかのように「私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。」と締め括られています。「主の御名」は、主ご自身を意味しますが、主の御名は「ヤウェー」、契約に忠実な神です。神は約束されたことを決してたがわないで、守られる神です。
. .このような神に依り頼むとき、敵の怒りも、彼らが仕掛けるわなも、何でもありません。依り頼む信仰者は、すべての事態から守られて、勝ち得て余りある生涯を歩むことが可能とされるのです。ローマ人への手紙8:37節。