■ 今日の「井戸掘り」
. . 「私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。」 詩篇 138: 1〜 8 A
■ 井戸を掘りましょう:
. .「私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。」ダビデは、主が彼の「敵に向かって御手を伸ばし」、神の右の手がダビデを救ってくださることを信じていました。ダビデは主である神の救いを確信して、たとえ苦しみの中を通ることがあっても、それは一時的であって、最後には主の救いの手が差し伸べられることを信じて、主を待ち望みました。
. .ダビデの強さの秘訣は正にここにありました。彼は信仰によって立ち続けたのです。ダビデは、彼に対する神の「恵みとまこと」とが尽きないこと、すなわち、とこしえまであることを信じて疑いませんでした。詩篇の136篇はダビデのものではありませんが、神の恵みがとこしえまでであることを詠った詩篇として有名です。
. .人生の途上で直面する諸々の苦しみのうち、最大の苦しみは、仇する者から与えられる屈辱や痛みではなく、そのような試練の中で、神が見捨てられたのではないかと言う思いがもたらす心の苦しみ・不安です。神は決してみはなしなさらない、と信仰で頷くことができる限り、他の苦しみは克服できるものとなります。しかし、神の恵み・慈しみへの信仰が揺らぎますと、他の苦しみが増幅して迫ってくることになるのです。
. .ダビデは、その神への信頼を決して揺るがされることがなかったのです。そこに苦しみに耐え、それを克服する力をダビデは発見しました。ヨブの苦しみの最大のものは、肉体的な苦しみに勝って、その只中で、友人たちがこもごもに彼の過ちを想定して、悔改めを迫ったことにありました。悔改めを迫るということは、悔改めないままでは神の御嘉納が受けられない、今のままでは神は遠くにおられる、と脅しているようなものです。ヨブは、そのことに苦しんだのです。何も悪を行った記憶がないのに、なぜ神は遠くにいってしまわれたのか彼には解せませんでした。そこにヨブの苦しみの理由がありました。