■ 今日の「井戸掘り」
. . 「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」 詩篇 138: 1〜 8 B
■ 井戸を掘りましょう:
. .詩篇138篇の締め括りの節です。どのような中を通ることがあっても、最終的には主が自分にかかわるすべてのことを成就してくださる、と頷く信仰こそが、ダビデの信仰でした。それゆえ、どのような事態、課題に直面しても、ダビデは動じることがありませんでした。
. .そのようなダビデの信仰の根底には、主の恵みへの深い意識がありました。それで、彼は「主よ。あなたの恵みはとこしえにあります」と詠ったのです。主は恵みのゆえに、その御手のわざを捨てないで、ダビデのためにことを成し遂げてくださる。ダビデは疑うことをしないで、そのことを確信していました。神の御手のわざこそが、歴史の中にあってすべてのことを動かしている手、であることをダビデは頷いていたのです。人がどのような策略によって、それを妨げようとしても、主の御手のわざは、滞ることなく進んでゆくことを、ダビデは確信していました。
. .そのような信仰があるとき、私たちが心しなければならないことは、主のみこころの中心にあって生きるということです。主のみこころを踏み外していては、主の御手のわざを期待することはできません。主のみこころに生きているときにのみ、主の御手のわざを待ち望むことができるのです。
. .「私にかかわるすべてのことを」、文字通り「すべてのことを」です。信仰生活に例外として除外される分野はありません。よく言われるように、主イエスをまことに主として自分の家に迎えたなら、どの部屋の鍵も、主の御手にお渡しするのです。主に見せたくないある部屋の鍵だけは手元においておく、ということは許されないのです。