. . フィリップの「井戸掘り日記」、第一のシリーズ「ダビデの生涯」に学ぶが終わりましたので、今回から第二のシリーズ「ダビデの詩篇」と題して、ダビデによる詩篇から水を汲みます。
「ダビデの詩篇」 に学ぶ : 第 97 講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。」                詩篇 141: 1〜10  

  ■ 井戸を掘りましょう:

. .何人の閣僚が、失言で辞任に追い込まれたことでしょうか。日本のことわざに言うように「口は」正に「災いの元」です。ダビデはそれを知って、神が彼の口に見張りを置き、くちびるの戸を守ってくださるように祈りました。自分の口に見張りを置くことは指導的な立場に立つ人々にとって非常に大切なことです。

. .ヤコブは、その手紙の中に「ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、体全体も立派に制御できる完全な人です」といっています。この句の前後には、舌のもたらす課題が、ヤコブによってるると述べられいますので読むとよいでしょう。ヤコブによるとことばは心の反映であって、それは泉とそこから湧き出てくる水の質との関係、樹木とその木が実らす果実との関係に似ています。

. .ダビデもそのことを知って、4節には「私の心を悪いことに向けさず、、、」と心をどこに向けるかに言及しています。心が悪に向かうと、その心から出てくることばは悪意に満ちたものになります。「朱に交われば赤くなる」のです。それでダビデは「悪い行いに携わらないようにしてください」と祈ります。悪い行いは、悪を行う人と付き合うことによって身についてきます。それでダビデは「彼らのうまい物を食べないようにしてください」とも祈っているのです。食事を共にするとは、親しい交わりを持つことを意味しています。

. .目は心の鏡です。ダビデは「まことに、私の目はあなたに向かいます」と宣言します。目を神に向けるとは、その心を神に向けることです。神を見続けるとき、心は聖くされ、聖く保たれます。

高知県・越知町の大樽の滝


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