. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第103講
■ 今日の「井戸掘り」

    「ささげ物を携えて、主の大庭にはいれ。聖なる飾り物を着けて、主にひれ伏せ。全地よ。主の御前に、おののけ。」                   詩篇96:1〜13A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「礼拝する」とは、原語では「ひれ伏す」と言う意味を持っています。偉大なお方の前に、ひれ伏して恭順の意を表すことが礼拝です。そのとき「聖なる飾り物を着けて」いることが要求されます。聖なることが、主である神に相応しいからです。

   また、礼拝者は「ささげ物を携えて」御前に出ることを要求されています。真のささげ物は自分自身ですが、自らを捧げることの象徴として、頭に手を置いて聖別した牛・羊・鳩などを、その財力に応じて捧げるのです。自らが聖なる神の御前に罪ある存在であること、それゆえ死に値することを認めて、ひれ伏し、身代わりとしての生き物を主の御前に捧げます。罪の贖いのためにです。

   更に、そのようにするに当たって、心にいだくべき基本的な態度は、御前にあって「おののく」と言う姿勢です。畏敬の念がなくしては「ひれ伏す」と言う行為も、「ささげ物を携えて」くるという行為も、すべて偽善に、見せ掛けだけのものになってしまいます。しかし、畏敬の念がそこにあるとき、すべての行為が生かされることとなるのです。「ひれ伏す」こと、主を礼拝すること、これこそが、主によって全地に、全ての生き物に求められていることなのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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