. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第112講
■ 今日の「井戸掘り」

    「私はやせ衰えて、屋根の上のひとりぼっちの鳥のようになりました。」         詩篇102:1〜28A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この作者は、自分の窮状を、更に「荒野のペリカンのように」、「廃墟のふくろうのように」、「伸びてゆく夕影のよう」に、「青菜のようにしおれ」と描いています。敵のそしり、それにも増して、主である神の御怒りに直面して、沈みきっているのです。

   そのような事態の中での、作者の唯一の依り頼み処は「しかし、主よ。あなたはとこしえに御座に着き、あなたの御名は代々に及びます」という事実です。この文頭の「しかし」という反語は、なんと重たい意味を有していることでしょうか。自分の状態がどのようであっても「しかし」なのです。

   そして、神が「立ち上がり、シオンをあわれんでくださる」ことを確信しています。そして「今やいつくしみの時です」と歌うのです。「主は、、、窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされない」ことを頷いて、そこに望みを掛けているのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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