. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第113講
■ 今日の「井戸掘り」
「これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえられます。すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。」 詩篇102:1〜28B
■ 井戸を掘りましょう:
この詩篇の最後の部分、ヘブル人への手紙に引用されているように、メシヤ詩となっています。キリストは、父なる神が永遠であられるように、永遠であられ、神と同じ性質を分かち持つお方です。神以外に「とこしえにながらえる」存在は、他にありません。
御子、そして、更に、御霊を加えて、テルチュリアヌスが「三位一体」と表現した教理が成り立ちます。理解できなくても、正しい推論の結果がそれを支持していて、避けることのできない問題です。
この詩篇には教えられていませんが、永遠性だけでなく、神に関わる他の神的なご性質は、すべて、御子のものであり、御霊のものでもあります。唯一の神が、三つの人格において存在すると言う神秘がそこにあるのです。
このことは「神は愛である」という特質を考えると、正に、そうでなければならないことが判ります。愛は、愛する者と愛される者とが存在して初めて成り立ちます。愛と言う特質は、最初から複数の存在を想定しているのです。御子が永遠の存在でなかったなら、神の愛は、永遠ではないものになってしまいます。私と話し合ったエホバの証人の方は、この点を説明できませんでした。