. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第121講
■ 今日の「井戸掘り」
「しかし、彼らはすぐに、みわざを忘れ、そのさとしを待ち望まなかった。彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。」 詩篇106:1〜48A
■ 井戸を掘りましょう:
冒頭に引用した句と同様、第8節にも「しかし」と言う句が見いだされます。「しかし主は、御名のために彼らを救われた」。この二つの「しかし」は、それに続くことばにおいて、なんと異なることでしょうか。
第8節の「しかし」は、イスラエル側の不忠実・不誠実にも拘わらず「しかし」であるのに対して、だい9節の「しかし」は、神の忠実・誠実にもかかわらず「しかし」です。
神は、アブラハムとの契約を忘れず、イスラエルに対して、あわれみを施そうとしておられました。しかし、イスラエルの民は、そのような神の忠実さに対して、不誠実であり続けたのです。神の「奇しいみわざを悟らず、、、豊かな恵みを思い出」しませんでした。「彼らはすぐに、みわざを忘れ、」神の「悟を待ち望」みませんでした。それどころか「彼らは、、、激しい欲望にかられ、、、神を試みた」のです。
それでも、「しかし」神は、、、なのです。