. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第124講
■ 今日の「井戸掘り」
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。主に贖われた者はこのように言え。」 詩篇107:1〜43
■ 井戸を掘りましょう:
「その恵みはとこしえまで」とありますが、主の恵みの不変性・永遠性が詠われています。神ご自身が永遠であり、不変のお方なので、その恵みもまた、永遠・不変です。
主である神のご性質に関わることはすべて、愛であれ、憐れみであれ、慈しみであれ、永遠・不変なのです。それですから、主の慈しみ(へブル語で「ケセッド」)は、しばしば不朽の愛、朽ちない愛と日本語に訳されています。
ある聖書学者は、神の道徳的性質を簡単に「聖愛義憐真」として整理していますが、そのすべて、聖も愛も、義も憐も、そして真も、そのすべてが永遠であり、不変・不滅なのです。
人がどのように変わり、主である神に対する態度を変えても、神は、依然として、神であられ、その性質は少しも微動だにしません。