. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第126講
■ 今日の「井戸掘り」
「主は荒野を水のある沢に、砂漠の地を水の湧き上がる所に変え、そこに飢えた者を住まわせる。」 詩篇107:1〜43B
■ 井戸を掘りましょう:
この句の直前には「主は川を荒野に、水の湧き上がる所を潤いのない地に、肥沃な地を不毛の地に変えられる」とあります。それは「その住民の悪のため」でした。それですから、主が「荒野を水のある沢に、砂漠の地を水の湧き上がる所に変え」なさるのは、その住民が悪から離れ、主のみこころに適う道に歩み始めたかあらなのです。
人は「自然」と称して、自分を取り巻く周囲の環境は、自然の法則に則って運行しているかのように誤解しています。そこに主の干渉のみ手を認めることをしません。しかし事実は、主のみこころ次第で、自然界は大きく変化するのです。主のみこころに適えば、そこは豊かな実りをもたらす地となります。しかし、その住民が主に背いて、自分勝手な生き方をするなら、主は、その地から実りを取り上げなさいます。豊かな収穫のあるなしは、決して自然ではないのです。
主である神は、創造主であるとともに、その創造された世界の支配者・管理者でもあって、今もなを、摂理と言うみわざによって、自然界に干渉し、それを支配しておられるお方です。地震や激しい台風、旱魃や大雨といった自然現象と考えられていることどもは、その実、主の御手のわざによるものだと悟る人は幸いです。「知恵のある者はだれか。その者はこれらのことを心に留め、主の恵みを悟れ。」