. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第128講
■ 今日の「井戸掘り」

 「幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。、、、幸せなことよ。情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行なう人は。」              詩篇112:1〜10 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   人の幸福には、2つのことが関わっていることを、この詩篇は教えています。先ず第一に、それは、主である神との関係に関わっています。「主を恐れ、その戒めを、、、喜ぶ人は。」 真の幸いとは、単なる地上的なものではなく、永遠的なものです。短い地上生涯で、どのように物質的に恵まれたとしても、それだけでは真に幸いとは言えません。私たちの永遠の在り方を決定する創造主である神のご嘉納があるかないかが、しあわせの大切な要素なのです。

   しかし、神との関係が正しければ、それで人は幸せかと言うと、そうではないのです。神との関係を正しく保つと言うことには、神の似像に創造された人との関係をうまく保と言うことが含まれています。「情け深く、人には貸し、自分のことを公正に取り行う」ことが求められているのです。それは、第一の、主の「戒めを大いに喜ぶ」というくだりに意味されています。

   神と人との前に正しくあることが、幸い・しあわせの土台です。聖書は、それを「義と聖」と言う概念で簡潔に教えているのではないでしょうか。神の御前には「聖」なる生き方を、人に対しては「義」が求められるのです。この「義」には、公正・公平。正義といったことがすべて包含されています。

高知県・越知町の大樽の滝


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