. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第14講
■ 今日の「井戸掘り」
「幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。」 詩篇2:1〜12G
■ 井戸を掘りましょう:
第2篇の締め括りのことばです。第1篇は「幸いなことよ」ということばで始まりましたが、この篇は「幸いなことよ」で締め括られています。明らかに、第1篇と第2篇とはペアになっていて、双方の詩篇とも、何が幸いなことなのかを教えています。
第1篇では、幸いは、悪の道から離れることにあるという消極的な面が述べられていましたが、この2篇では、幸いは「主に身を避ける」ことにあることが語られています。
人は、自分の努力では、悪の道から訣別することができません。人には、ダビデが詩篇51篇でいみじくも表白したように、生まれながら悪に傾く性質を帯びていて、それゆえ、神を離れた人は「肉なる者」と呼ばれています。すなわち、必然的に悪に傾いていってしまう道徳的傾向性、道徳的弱さを帯びているからです。
人が、もし、第1篇に書かれているように「悪から遠ざかる」道を選ぼうとするなら、「主に身を避ける」ことが必要になってきます。これは、幸せであるための積極的な面であって、第1篇と相互補完的になっています。「主に身を避ける」は、文語訳では「主に依り頼む」と訳されています。人は、幸せになるために、主に依り頼むことが大切なのです。