. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第14講
■ 今日の「井戸掘り」
「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。」 詩篇10:1〜18
■ 井戸を掘りましょう:
第3篇から9篇まではダビデの詩篇が続いています。ダビデ以外の詩篇は、詩篇第1、2篇の次は、この10篇です。
第2篇は「なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか」という主なる神の疑問ではじまりましたが、この第10篇は「主よ。なぜ。あなたは遠く離れてお立ちになるのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか」という信仰者の疑問で始まっています。
信仰者のこの疑問は切実な疑問です。「苦しみのとき」、主を近くに感じることができない、主が遠く立って傍観しておられるように思える、なんと辛いことでしょうか。
この信仰者は、どのような「苦しみ」を味わいつつあったのでしょうか。2節に「悪者は高ぶって、悩む人に追い迫ります」とあるように、悪者の存在とその仕業が問題なのです。彼らは、神がいたとしても「神を尋ね求めない」傲慢さを身に纏っています。そもそも、彼らの「思いは『神はいない』の一言に尽きるのです。彼らは悪を行って平然としています。なぜなら「神は忘れている。神は決して見ない」と思っているからです。
悪者がこのような傲慢な態度を取って、悩む人を罠にかけて苦しめていても、神はそれを気に掛けずに傍観しておられる、そのように思えることが、この詩篇の作者の苦しみの理由でした。