. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第132講
■ 今日の「井戸掘り」

 「私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるからだ。主は、私に耳を傾けられるので、私は生きているかぎり主を呼び求めよう。」              詩篇116:1〜19 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   私は主を信じるに先だって、「私は主を愛する」とあります。主を愛するがゆえに、主を信じるのです。この詩篇の作者が、主を愛する理由は、主が彼の祈りに耳を傾け聞いてくださるから、と説明されています。主とこの人物との間には、親しい心の通い合いがありました。

   このような主との交わりがあったので、「死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった」というよな情況の中でも、彼は支えられ、保たれたのです。

   詩篇の作者は、祈ることによって、主を更に深く知りました。「主は情け深く、正しい。真に、私たちの神はあわれみ深い。」祈りの最大の祝福は、その祈りが答えられて、窮状から救い出されると言うこともさることながら、それにも勝って、祈りを通して、主に叫ぶことを通して、更に深く主と交わり、主を知るにいたることです。

   主がどのようなお方であるかが判ってきますと、主が何をされるお方なのかも判ってきます。「主はわきまえのない者を守られる。」自らを「わきまえのない者」として、主の前に謙る姿勢を取っています。主の御前での知ったかぶりは、傲慢の表れで、主が嫌われることです。主は、砕けたたましいを愛されます。

高知県・越知町の大樽の滝


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