. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第133講
■ 今日の「井戸掘り」

 「主が、ことごとく私に、良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。」              詩篇116:1〜19A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「主が、ことごとく私に良くしてくださった」これが、この詩篇の作者の実感でした。あのことこのことにおいて、主は良くしてくださったというのではなく「ことごとく」なのです。詩篇の作者が苦しかった時も、悲しかった時も、辛かった時も、そのすべてを含めて「ことごとく」なのです。

   私たちは、しばしば、自分が願うこと、望むことが叶えば「良くして」もらったと感じます。しかし、自分の願いとは異なった方向にことが動いて行く時、望まない方向に物事が展開して行く時には、そのように想いません。人は、大体そのように、自己中心なものです。
<p>    この詩篇の作者は、主が「ことごとく」良くしてくださった、と自らの人生を振り返ってみています。それは信仰の姿勢であり、主は、善にして、すべてに善をなしたもうという信仰的な理解、納得に裏づけられています。そして、その理解に基づいて「私は主に何をお返ししようか」と叫ぶのです。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる