. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第134講
■ 今日の「井戸掘り」
「その恵みは、私たちに大きく、主のまことはとこしえに至る。ハレルヤ。」 詩篇117:1〜2
■ 井戸を掘りましょう:
2節しかない短い詩篇です。すべての国々、すべての民、に対して「主をほめたたえよ」と招いています。しかし、この招きに対して諸国民は、好意的に応じようとはしないで、詩篇第2篇に「なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。地の王たちは立ち構え、、、、主に、、、逆らう」と詠われているように、主に逆らったのでした。
主をさんびし、主に仕えるようにとの招きに素直に応じることのできない心、それが、生まれつき人の心には存在します。それは民族・文化・国籍を超えた人類共通の問題で、アダムの末裔であったなら、すべての人が心に宿している罪へと傾いてゆく傾向性、罪の性質があるからです。
人は、生まれながらに不信仰であって、主に依り頼もうとはしません。生まれながらにして、主に戒めに従うことをしません。否、できないのです。
そこに主イエスの十字架の死による贖いの必要があります。贖いは、単に、犯した罪の赦しのためと言うよりは、更に深刻な問題、生まれながらにして持つ人の罪へ傾く性質、神に背こうとする肉の思いの解決のためにこそ必要だったのです。