. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第155講
■ 今日の「井戸掘り」
「私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。」 詩篇119:1〜176R
■ 井戸を掘りましょう:
イスラエルでは、見張りが立って、夜明けを知らせるのが常でした。「夜明けの見張りより先に」ということは、まだ、朝の暁光が見られない、暗いうちに、、、と言うことが意味されています。
この作者は、真っ暗闇に起き出でて、ランプの火をともし「みことばに思いを潜め」るのです。人々の活動が始めるまえの静けさの中で、ひとりみことばを思い巡らすのです。
正に、サムエルの「しもべ聞く。主よ語りたまえ」と言う姿勢です。そうすると、暗やみの中で、主は語りかけ、そのみこころを示されます。このようにして、詩篇の作者は、主のみこころを伺ってから、一日の行動に移ります。みことばに導かれて、一日の活動を始めるのです。
そのような営みなしに、一日の活動を始めるのと、どのような違いがあるのでしょうか。私たちも詩聖にならって、彼のように朝を迎えてみようではありませんか。そして、自分の体験として、その違いを味わい知るものとなりましょう。